Introduction

料亭山屋のご紹介

明治初年に、山屋初代半兵衛が

 

今日の場所にある横田家の別邸を

 

譲り受け、現当主は五代目となります。

 

 

 

 

 

料亭山屋のご紹介

元々山屋は幕末より明治初年まで、かの伝説的豪商横田五郎兵衛の本宅(現在の埼玉りそな銀行川越支店付近)の地続きで仕出屋を営んでおりました。


明治初年に、山屋初代半兵衛が、今日の場所にある横田家の別邸を譲り受け、現当主は五代目となります。

 

横田家を少し説明しますと、第12代横田五郎兵衛が近江より川越に移り、米穀問屋、酒・醤油製造業、金融業を営み、寛政3年(1791)には、川越藩御用達を命じられ、町年寄を務め、名字帯刀を許さました。

 

川越藩が最高石高17万石であった松平大和守斉典(なりつね)の時代に、横田家は隆盛を極め、江戸末期につくられた「関八州田舎分限角力番附」に、江戸を除く関東の豪商200人中、東の横綱になっていました。

 

江戸にも出店し、五郎兵衛が来ると米の相場が変わると言われ、江戸や大坂の米相場を動かす程の力を持っていたと伝えられています。

 

奥の間
明治後期
離れ
明治38年

千坪近い敷地の中に、その全盛期、富にあかして贅を尽くしたこの別邸は、川越藩主松平家をはじめとして多くの賓客を招き迎えた貴賓館の名残りをとどめています。

 

明治初期よりこの地で営業いたしております山屋は、戦前戦後、幾度かの混乱期を経て、数限りないお客様にご贔屓お引き立てをいただき、今日に至っております。

 

 

武蔵野の風趣豊かな庭園を背にしてのご商談、大中小宴会、ご会合に、皆々様からご利用いただいております。

 

四季折々に美しく変化する庭園とともに、旬を取り入れた料亭山屋の会席料理をお楽しみ頂きたいと存じます。

昔の披露宴

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